Loading…
幻の戸井線
函館に来る前に
幻の戸井線アーチ橋を観ました
「戸井線」というのは
ウィキペディアによれば
改正鉄道敷設法別表第128号に「渡島國凾館ヨリ戸井ニ至ル鐵道」として規定されていた予定線であった。戦時中の1937年に、船舶輸送の短絡化(戸井町から青森県大間町への航路を利用)や、戸井町に要塞を建設するといった軍事的な目的で建設が開始された。9割方の路盤が完成していたものの、戦時中ということもあり資材不足のため1943年(昭和18年)に工事を中断。結局建設は再開されないまま中止となった。駅は終点の戸井駅を含めて9駅が予定されていた。
その後青函隧道計画が持ち上がった際、東ルート案では戸井線区間を通ることになっていたが、1968年(昭和43年)、西ルート(津軽線・江差線)で建設することに決定し、戸井線開通の可能性は消えた。戸井線はレールを敷設されることはなく、青函トンネルに転用されたのは美幸線のレールである。
ということで
実際の開通はなかったわけですね
しかも幻の戸井線になったですね
レールすら敷いてなかった・・・・・・
それで僕はじっくり眺めながら早朝の新鮮を吸いました





お気に入っていただけましたらクリックをお願いします。
幻の戸井線アーチ橋を観ました
「戸井線」というのは
ウィキペディアによれば
改正鉄道敷設法別表第128号に「渡島國凾館ヨリ戸井ニ至ル鐵道」として規定されていた予定線であった。戦時中の1937年に、船舶輸送の短絡化(戸井町から青森県大間町への航路を利用)や、戸井町に要塞を建設するといった軍事的な目的で建設が開始された。9割方の路盤が完成していたものの、戦時中ということもあり資材不足のため1943年(昭和18年)に工事を中断。結局建設は再開されないまま中止となった。駅は終点の戸井駅を含めて9駅が予定されていた。
その後青函隧道計画が持ち上がった際、東ルート案では戸井線区間を通ることになっていたが、1968年(昭和43年)、西ルート(津軽線・江差線)で建設することに決定し、戸井線開通の可能性は消えた。戸井線はレールを敷設されることはなく、青函トンネルに転用されたのは美幸線のレールである。
ということで
実際の開通はなかったわけですね
しかも幻の戸井線になったですね
レールすら敷いてなかった・・・・・・
それで僕はじっくり眺めながら早朝の新鮮を吸いました





お気に入っていただけましたらクリックをお願いします。
スポンサーサイト
trackbackURL:http://kengo27.fc2.net/tb.php/155-dd3c2267